オールコンプレックス

小説とか書きます。Twitter@oomorimori_

アンダーグラウンドの景色

「悪は絶対に許せない。どのような理由があろうと悪は悪以外の何ものでもない。その信念は揺るがないし、揺らいではいけないと思う。だって揺らいでしまったら、悪を許容し、野放しにすることになりかねない。例えその背景に残酷さが隠されていたとしても、悪は成敗されるべきなのだ。」ツイート。ここは鬱憤の吐き溜め。
 五月四日。下駄箱の前でクラスメイトの柴原海斗が佇んでいた。柴原の下駄箱の中に目をやると、鼻を刺す臭いがした。上履きの中には糞を新聞で包んだものが入っている。瞬時に把握した。やったのはクラスの立場的に上層に位置している圭たちだ。中学2年の時からいじめっ子で有名で、3年に進級し同じクラスになり嫌な予感はしていたが、案の定柴原をターゲットにしていじめを続けた。このままではいけないと思い、担任の教師に報告した。しかしこの担任がとんでもなかった。道徳観が欠陥していて、その場しのぎの対応しかしない。その後もいじめはエスカレートした。五月二十六日、約一週間前に遡る。教室に圭の怒号が鳴り響いた。
「早く脱げよ!」
海斗は無表情で俯いたまま下着以外の全ての衣服を脱衣した。抵抗すらしなくなっている。無表情の裏側では、収拾がつかないほど膨らんだ憎悪や悲哀を必死で押し殺しているのだろう。いたたまれなかった。圭や圭の友人の尚人、その他いじめに加勢している生徒は諧謔的に笑い続け、写真を撮るなどした。シャッター音がやけに煩かった。悲鳴を上げる女子生徒、苦笑を浮かべる者など反応は様々だったが、教師に報告をする者は誰一人としていなかった。私含め、皆教師には解決出来ないと諦めていたのだ。だがここまでいじめが目立つようになると、担任以外の教師も黙ってはいない。主犯の圭中心に叱責を浴びせるなどした。それでもやはり、圭たちに反省の様子は見られなかった。
目覚まし時計の音で目が覚める。起床後真っ先に思い浮かぶのはいじめの光景。学校に行くのが酷く苦痛になった。しばらくベッドにこもっていると、母が私を起こしにきた。
「日向、もう起きないと間に合わないよ。」
「頭痛い。休む。」
「最近浮かない顔してるけど何かあったの?」
ああ、察していたんだ。クラスで起きていることを事細かに話した。母はいじめへの対応を学校に要請しようかと協力的な姿勢を見せてくれたが、それで状況が好転するとは思えず、私は母の提案を断った。そんな中、現状は変わらないどころか、悪化の一途を辿るばかりだった。
 「日向、あいつらいい加減止めようよ。」
友人の茉由が突発的な提案を持ち掛けてきた。
「止めるって、どうやって。」
「直接対決だよ。日向ああいうの一番嫌いでしょ。」
まあ、嫌いだけれど。私たちが真正面から刃向かったところで収まるとは考えにくい。
「私色々考えたんだけど、尚人は多分話せば分かるやつだからまず尚人と話し合いたい。」
尚人は、なんとなく周囲に合わせている印象があった。茉由はそれを見抜いていたようだ。
「そっか。いつ呼び出すの?」
茉由は数秒の沈黙の後、尚人のいる方へ向かいなにやら話しかけていた。熟考はするが行動力のない私は茉由の行動力に尊敬を覚えていた。
「予約完了!今日の放課後ね。」
「え、今日?」
呆気にとられてしまった。伝える内容の詳細など考えてあるのだろうか。そんな不安の中、放課後はあっという間にやってきた。しかし私は、冷静に話すことが出来なかった。
「圭は家のストレス溜まってるみたいだし、なんか俺圭が可哀想なんだ。」
尚人がそう言った瞬間、私の頭の中に今まで見てきたいじめの光景が走馬灯の如く一気に流れ込んできた。
「え?圭が可哀想?いじめてるの圭だよね?家庭環境がどうとかいじめる理由にならないでしょ。柴原の方が何倍も可哀想。尚人は間違ってる絶対間違ってる私そんなの絶対に納得いかない!苦しんでるのはいじめられてる海斗だけじゃない!私だって!」
ここまで言って、涙が溢れ出してきた。あまりにも一方的で、どうせ伝わらないのも分かっていて、苛立ちは増していくばかりだった。
結局何も解決せず、微妙な雰囲気のまま私たちは別れた。帰宅後、自室のテレビを点けたがその音すら鬱陶しかった。でも何かで気を紛らわさないと憂鬱が迫ってきて、どこかに鬱憤を吐き出したくて、リビングでテレビを見ている母の元へ向かった。
「お母さん、聞いてほしいことがある。」
縋るような気持ちで切り出す。
「ん?日向どうしたの?」
私は間違ってない。そう肯定してほしくて、放課後あった出来事を必死に伝えた。
「日向の真っ直ぐなところ、お母さん好きよ。でもその真っ直ぐさ故に、見逃している部分があるんじゃないかな。正義が悪を成敗するだけじゃ済まないことが世の中にはごまんとある。でもね、だから悪に従えってことじゃないの。そういうときは視点を変えてみるのよ。」
否定、された。私は何も言わずに急いで自室に向かった。テレビの雑音が耳に入ってくる。点けっぱなしだったようだ。陳腐なバラエティ番組に好きな俳優が出ていたが、今はそんなのどうでもよかった。電気も点けずベッドに横たわる。テレビの液晶画面だけが目立っていた。
―真っ直ぐ、すぎる?
あ、だめだ。私の中の何かが崩壊していく。どこかに、鬱憤を。「十五年間生きてきて真っ直ぐさで苦悩したことなんてなかった」ツイート。「周囲の人は私の真っ直ぐさをいつも褒めてくれたのに」ツイート。「私は私のままでいちゃいけないのかもしれない」ツイート。自信なんて、自己肯定感なんて、全部砕け散った。
今日も圭を中心とした男子生徒は柴原に嫌がらせをしていた。それは一週間経っても、一カ月経っても変わることはなく、もはや日常と化していた。茉由がいじめについて触れることはなくなった。感覚が麻痺したのだろうか。私と同じかもしれない。受験シーズンで時間はあっという間に過ぎ、気付けば卒業の季節が来ていた。
「えー皆さん、卒業式お疲れ様でした。辛いことも沢山あったでしょうが、友達と貴重な時間を過ごせたと思います。先生の願いは皆さんが幸せな人生を歩むことです。それでは最後に、みんなありがとう!」
担任がやけにわざとらしい表情で使い古された台詞を言うと、感動した者も、そうでない者も、雰囲気に流される者も拍手をする。普段から生徒思いの教師が言ったのなら私も感動に浸ることが出来たのかもしれないが、都合の悪いことからは逃れ澄ました顔をしているような教師だ。胸糞が悪かった。圭、尚人、その他いじめに加勢していた生徒は中学校で過ごした青春の日々を回顧しながら笑い合っていた。
高校に入り、新しい友人と卒業アルバムを共有したことがある。アルバムを捲るうちに卒業式の日のことも思い出していたが、その時の柴原の顔は、思い出せなかった。

お酒が飲める年になった。中学時代の同窓会は、意外にも9割以上の元クラスメイトが参加していた。盛り上がりに欠けてきたころ、幹事の者が会計の流れに持ち込み、解散した。私は隣席だった茉由と駅に向かった。
「圭は来てなかったね。」
しばらく耳にしていなかった名前に、うやむやにしてずっと思い出さないように厳重に鍵をかけて閉まってあった記憶の蓋が、突如開けられるような感覚に襲われた。
「そうだね。」
「尚人さ、圭の家庭環境のこと言ってたじゃん。あとでわかったんだけど、圭って父親に虐待受けてたらしい。」
「そうなんだ。」
私は自分の在り方が分からなくなって以来、真っ直ぐさは何の役にも立たず、それどころか鋭利な刃物となって人を傷付けるのだと悟った。壁を隔てた人付き合いしか出来なくなり、本心を言えなくなった。プライドばかり高くなって、心の中で毒突き、見下してばかりいた。傷付けられた自尊心を更に傷付けられることを恐れていたのだ。圭も同じだったのだろうか。父親と同じ毒で、見下し支配することでしか、自分の無力さへの絶望、苦しみを失くすことが出来なかったのかもしれない。
 駅に着き、茉由に別れを告げ、別々の電車に乗り込む。
 お母さん、私に足りないのは想像力だったのかな。いつだって優先していたのは自分の感情で、圭の抱える闇には目を向けることが出来なかった。尚人に感情的になったのも、悪を悪としてしか捉えられない視野の狭さ、頑固さだった。挙句母の助言すら自分への否定的意見と捉え、それからは過剰に保守的になった。私は圭と同じじゃない。私は私が大好きで仕方なくて、いつも自分を正当化して馬鹿みたいに自分にだけは過保護だったんだ。
 私は自分の本質と向き合うことから逃げていた。真実を知り過去の記憶に触れて、圭に抱いた感情は以前とは異なるもので、己の過去も、人の罪も、少しだけ許せたような気がした。
 終電に揺られる中、私は忘れていた柴原の顔を思い出していた。